「中学教師」になろう、知ろう

中学教師になるということ

中学校の長い長い歴史

ことの始まりはヨーロッパです。
まず、大学という学者たちの集まる組織が出来上がりました。この組織ではラテン語が共通言語として使われています。実はこの言語、当時どの国も母語として使ってないんです。それどころか一般人は読めもしないし話せもしない。言ってしまえばラテン語は学術言語だったわけです。
次に、国と市民が子供たちに勉強をさせたほうが将来的にお得であることに気づき始めました。そうして義務教育制度による初等教育が始まります。
ここで問題が発生していきます。
大学に行きたい人たちはラテン語を習得しなければなりません。また、初等教育を受けていた人々の中にもう少し専門なことを学びたい人が現れてきました。
ですが、彼らはどこでそれらのことを学べばよいのでしょう?

中学校の長い歴史とその在り方

こうして大学という高等教育の基礎的な部分を教え、初等教育の専門的な部分を教えることができる中等教育の必要性が出てきました。本来であらばこの後中学校と高校が分かれていく話が続いていくのでしょうが、今回はこのあたりでやめておきます。この上で中学校のあるべき姿を考えていきましょう。
まず、中学校はあらゆる道を阻害する場所であってはなりません。歴史的に理解される通り、中学校にはあらゆる方向性に進む人がたくさんいます。中学校とは本来その人たちすべての願いを叶える場所であるはずなのです。
次に、これは先ほどと似たようなものなのですが、中学校はすべての人が勉強できることが可能な授業内容である必要があります。学者志望の人がドリルの扱い方を知る必要はないですし、職人希望の人がフロイトの心理学について知り尽くす必要はないのです。新たな道を紹介することは良いですが、あまりに専門的なことを強制させることはないのです。